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by emrcis
| 2019-02-19 14:27
| 江村信一について
2/16からメルマガスタートします。江村信一の生い立ちからアート活動40年、挫折から進化と未来などについて笑いと涙のドラマを綴っていきます。キャラクターアートデザイン情報40年、パステルシャインアートPSA情報20年のメルマガ(メール新聞)を無料発行します。
これから長くお付き合いしてください。 ![]() 6月より定期的ではなくきまぐれに発行しています。 ![]() 夢を叶えるアートPSAは1995年に希望の光をイメージして アーティスト江村信一がメソッド開発して早いもので20年が経ちました。 20年の軌跡や絵から夢を叶える秘密スキルアップ情報及びエッセーなど 様々な角度からアートのある豊かな自然生活 をテーマに週1のペースで発行して行きます。 すでにトライアルで最初の8通のステップメール新聞を 読んでいただいた方は購読ありがとうございます。 8通の初めのPSAの基本がわかるステップメールをまだお読みに なっていない方は下記にメールアドレスを入れていただくと8日間にわたって 配信されます。 メルマガのお申込みはこちらからどうぞ。 https://www.agentmail.jp/form/pg/2170/1/ 。。。。。。。。。。。。 パステルシャインアートで豊かな世界をお楽しみ下さい。 。。。。。。。。。。 。。。。。。。。。 メール新聞(メルマガ)を2月から毎週木曜日、無料で発行しています。 下記の文面は2/26に発信した内容です。 江村のキャラクターアート創作からパステルシャインアートの 経緯とスキルアップ、ブラッシュアップについて、 5冊の本にも書いていないことを細かく描いています。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。★ 『夢を叶えるドリームアート』 byパステルシャインアート (世界で一番簡単な) 絵を描くだけで夢を叶える ★ドリームアート7つの法則 ★貴方の当り前を変える ①自己イメージが変わると 思いくせが変わる ②思い方が変わると 言葉が変わる ③使う言葉が変わると 行動が変わる ④行動が変わると 人間関係が変わる ⑤人間関係が変わると 仕事の出来が変わる ⑥仕事の出来が変わると ライフスタイルが変わる ⑦ライフスタイルが変わると 運命が変わる ★この7つの法則はマザーテレサや ガンジーの言葉からヒントを得て 作った法則です。 この法則を言い換えると、 思いの癖が変わる → 心の質が変わる 心の質が変わる → 気が変わる 気が変わると → 身体が変わる 身体が変わると → 行動が変わる 行動が変わると → 言葉が変わる 言葉が変わると → 人間関係が変わる 人間関係が変わると→ 人生が変わる 人生が変わると → 運命が変わる ただ絵を描くだけで この法則を 人生に生かして来た方が 多くいます。それは、 パステルシャインアートは 絵の常識、つまり苦手とか 面倒くさいを外したからです。 まさに当たり前がひとつ 変わると、目の前の景色が 変わるのですね。 1:パステルシャインアートは 当たり前を変える パステルシャインアートは自分の リミット(限界)の当たり前を変える 自己紹介をする機会が あるとき、貴方は ご自分をどのように 紹介されますか? どこどこ出身の○○です。 名前は○○と申します。 仕事は△△。あとは家族構成 などがかなり 大半の方の当たり前の 自己紹介だと思いませんか? 貴方はもっと人とは違う 自分らしさという 切り札があるはずです。 例えば掃除をさせたら 人一倍ピカピカに させることができる 主婦の鏡の○○です。とか 立てば私は一介の主婦だから 主人の役職や 子供のことが自慢の種で、 どこどこさんの 奥さんとか、 だれだれ君のお母さんとも 呼ばれている主婦が 自分を自分らしく生き 自分の人生の中で自立していく 事ができたら、 ○○のだれだれと 自己プロフィールを 言うことができるはずです。 同じことがOLにも言えます。 どこどこ会社の○○です。 これではあなたは 埋没します。 あなたらしさは出てきません。 貴方はその会社で何を 担いまた何か 人一倍得意なことがある はずです。 自分を知ってほしいです。 自分をほめてほしいです。 私はパステルシャインアートを 通じて一人でも多くの方が 自分を取り戻し、 自分らしさを生きて いただきたいと ねがっています。 不思議なくらい このアートメソッドは 自分の魅力に気づけ、 自分らしく生きる力を 取りもどされていく方を 私は20年間に どれだけ見てきた ことでしょうか。 これがまた私の喜びであり 誇りです。 ではそのような素敵な体験を されてきた方を今後、 ご紹介していきます。 楽しみにしていてください。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。★ ★次回は7つの法則を ひとつひとつ 説明していきます。 お楽しみに。 つづく 。。。。。。。。。。。。。。。★ まだ読んでいない方、 これから購読したい方は ここからアドレスを入れて下さい。 https://www.agentmail.jp/form/pg/2170/1/ まず、8日間に渡って配信していきます。 並行して週刊メルマガを発信します。 お楽しみに。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。★ 読者からの感想 ありがとうございます。 江村信一先生のパステルシャインアートの世界 【メール新聞】楽しみです*\(^o^)/* ステップメール新聞も毎回感激 感動の内容でした!! 私だけかも知れませんが泣きました... 静岡県 S様 40代 女性 。。。。。。。。。。。。。★ ▲
by emrcis
| 2015-02-17 15:12
| 江村信一について
カフェでイメージワークする。
![]() 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 『起業決断の瞬間』 というサイトに松延さんから江村信一にインタビューをいただきました。感謝。下記が文面です。 『めびうすのWA』 HPでも見る事ができます 。。。。。。。。。。。。。。。。。。 ▼起業家file.015 江村信一さん 日本パステルシャインアート協会 代表理事 (プロフィール概略) キャラクターデザイナー、「パステルシャインアート」創始者。 1950 年大阪府天王寺区生まれ。父親は画家、商業図案家で新聞記者で私が5 歳の時に他界。小1 で腎臓病を煩い半年間療養。中学・高校と卓球に打ち込み体力と精神力を養う。卒業後、大日本印刷の関連会社に就職。その後、子供のころから興味のあったキャラクターと漫画の勉強に集中する。デザインの勉強を兼ねて幾つかの会社を経験した後、25 歳でキャラクターデザイン専門スタジオ「ディフォルム」大阪で起業。28 歳で上京して(株)サンリオ企画制作デザイン室に入社。34 歳でCIS設立。’95年「天使展」でパステルシャインアート(PSA)を発表。’01 年に日本パステルシャシンアート協会(JPSAA)設立し、’13年に一般社団法人化。現在、認定したJPSAA インストラクター600 名以上、PSA 体験者は20 万人を超えた。 ●幼少~会社時代ー 絵が好きなのは、商業図案家の父のDNAを受け継ぐ。 幼少時の病弱体質は卓球で克服、キャラクターデザインの世界へ。 1950年大阪市天王寺に生まれる。父は新聞記者をしながら商業図案家(現在のグラフィックデザイナー)の実力派でもありました。父が絵を描く姿を見て育ったので、もの心付いた頃には私も絵が好きになっていました。ところが父が39才で他界し、家族は母、姉2人、妹1人、私の5人になってしまったんです。その後、母親が父の企画したものを生かして、カルチャーセンター『生活文化教室』を開校。当時はまだ珍かったので人気が出て生徒数は約500名以上に。茶道、華道、短歌、古美術研究会、書道、ダンス、日本舞踊、写真、などいろいろな講座がありました。 私は小1で腎臓病を煩い、約半年間の療養生活に、その後復帰して学校に通う事ができました。また小3の担任があの『よかいち』の書で有名な榊莫山先生、いま思えばビックリですが、絵と書そして自由な発想の影響を受けました。中学では一転、卓球部に所属して体力づくりに励みます。一方絵を描くことも相変わらず大好きで、中1で大阪市のコンクールで入賞、そのことが自信に結びついていきました。高校は母や学校の薦めもあり、デザインとは畑違いの大阪電気通信高校へ(笑)。そこでも卓球に熱中し、大阪府の新人大会ベスト16に。いま思えば、このころに真剣に取り組んでいた卓球のおかげで、マインド面に自己啓発が培われた気がします。卒業後は大日本印刷系列の(株)大日本ポリマーでは、インダストリアルデザインを経験。20 才の時、漫画家・中島たを先生と出会いキャラクターの世界に入るキッカケとなりその後も個人的にプロのデザイナーやイラストレーターから描き方、仕事の進め方などを学びながら仕事をして覚えるという実践型のスタイルで力を付けました。その間、広告代理店、デザインスタジオ、CI 専門会社、・・・などデザインスキルと営業力を磨くために幾つかの会社で制作と営業を経験。 ●1回目の起業ー 25歳、いきなりキャラクター専門のデザインオフィスで独立起業。 27歳、サンリオに飛込み営業したら、作品好評で逆スカウトされた!! ’73年頃から、サンリオの”Patty and Jimmy”や”Kitty”…などキャラクターの一大ブームがきました。そして’76年25歳のとき、大阪心斎橋にキャラクターデザインオフィス『ディフォルム』を設立、いきなり独立起業。今思えば、かなり無謀な行動ですが、この勇気が今の自分におおきな力となっていると思います。多くの方のおかげで色々な会社からの依頼が沢山ありました。サンリオの「キティちゃん」が誕生してキャラクターの世界がおおきく拡大していた時期だったので、キャラクターに特化して仕事を拡げたことが功を奏し、また、外部アーティストの能力にも目を向けプロデュースをして守備範囲を広げることもできました。 そして起業1年が過ぎた頃、当時のキャラクターの国内最高峰「サンリオ」に売り込みのため上京。社長宛にノンアポで、いきなり「大阪から来ました。作品を見てほしい」と飛び込みました。社長にはお会いできませんでしたが、企画制作課長にご対応頂き、「弊社のキャラクターをライセンスしませんか?」とプレゼンした処、「あいにく日本のアーティストはライセンスしません」とアッサリの回答。ところが、持参した作品をとても気に入って頂けて「よかったらここへ机をおかないか?」という意外な展開となりました。 大阪にもどって色々な人に相談して応援してくれる人や反対する人、様々な意見をいただき悩みました。当時サンリオのキャラクターブームの効果もあり、あちこちからキャラクター依頼が殺到していて仕事は絶好調。しかし、このまま大阪でブームに乗っかるのもいいが、我流の限界も感じていた頃で「今やったらゼロから学べるかも」という思いが次第に大きくなりました。いろいろ考えたすえ、「憧れのサンリオで仕事ができる!!」よし、このチャンスに乗ろう。 ●2回目の起業ー サンリオで実績を挙げたことで更に自信がついた。 今度は東京で起業したい!! 六本木でデザインオフィスCIS設立へ。 相変わらず仕事の依頼は続いていたので、大阪のクライアントにデザイナーを紹介して引き継ぎの段取りを終らせるのに1年近く掛かかりました。そして、休業宣言をして’79年4月に上京しサンリオへ入社。会社に朝から出社、というパターンに最初は馴染めず、ちょっとキツかったのですが少しづつ慣れてきて仕事も覚えていきました。キャラクター開発室に入って3ヶ月後に、憧れのキティーの仕事も参加することができました。また米国サンリオインクに行って、動くキティーのデザインなども手掛けたのは貴重な経験となりました。 そして少しずつサンリオのカラーやユーザーが求めているものが掴めてきました。入社10か月後に犬のキャラクター「トッピー&クッピー」を誕生させ、いちご新聞にも大きく掲載されて人気も出てきました。このキャラクターはライセンスキャラクターとして読売テレビほか約10社の契約が進み、特におもちゃのタカラが大きく展開。その後『ロビーラビット2』キャラクターもヒットして更に自信がつきました。 そして、サンリオでの仕事で更に自信がつき、今度は東京で起業してみたい!という思いが募ってきました。そして’84年六本木にキャラクターデザイン&ライセンスオフィスCISを設立。東京に来て5年、友人も知人もまだ少なく独立してやっていけるだろうか、という不安はありましたがキャラクターのブームも手伝って仕事は順調に伸びました。多くのヒットキャラクターに恵まれヤクルト、味の素、明治製菓、学研、三菱電機、三井石油、ライオン、・・・など100社以上に採用され、ロイヤリティ収入で事務所の経営が軌道に乗りました。スタッフも序々に増えて、’89年広い恵比寿のオフィスに移転することになりました。 ●パステルシャインアートの誕生ー ’95年パステルシャインアートが「天使展」で誕生!! 日野原先生の著書にも採用され、アートセラピーの推薦人に。 ’95年、阪神大震災や地下鉄サリン事件など、世の中が暗く停滞ムードが漂う年でした。『アーティストとして何かできないか?』と考え「明るい光が必要な時代」と感じて、絵本作家の葉祥明さんらと『天使展』を赤坂で開催。この時に私が描いた作品(写真右上)が、後に「パステルシャインアート」と呼ぶようになった第1号なのです。・・・というのも、「天使展」に出品した作品は、「光・輝き」をテーマとして直感で生まれました。 「天使展」には600人以上の方にご来場頂き、パステルの絵を見て「習いたい!!」と希望する方がいらっしゃり、早速教室を開催することになりました。「パステルを粉にして伸ばしグラデーションでほんわりとした優しい丸い光の絵を描く」という技法を基本として’95年にスタートしました。そこで天使の光・輝きからシャインをとって「パステルシャインアート(PSA)」と名付けました。誰でもスグに上手に描ける!!癒される!!・・・など、とても新鮮なPSAの世界がクチコミで徐々に拡がっていったのです。 そして’01年日本パステルシャインアート協会(JPSAA)設立に至り、’03年にはPHP新書「世界でいちばん簡単な絵の描き方~あなたも10分間で天才アーティスト!」の発刊とNHK『おしゃれ工房』放映で受講者が一気に拡大したのです。 並行して、たくさんの著者の方へキャラクターやPSA挿絵の提供でコラボさせて頂きました。 ’01年「元気を出して」文:宇佐美百合子さん、PHP研究所 ’03年「大切なこと」文:松下幸之助氏、PHP研究所 ’11年「心が凹んだたきに読む本」文:心屋仁之助さん、三笠書房 。など計25冊(共著、拙著含む)。合計130万冊達成。それから、2009年にはあの生涯現役医師である聖路加国際病院の日野原先生にパステルシャインアートをご体験して頂き、素晴らしい作品を描いて頂きました(写真参照)。そして、日野原先生の著書「いのちのメッセージ」に10点の作品を挿絵として載せていただけることになったのです。 ●今後の夢・目標・生き方についてー 心の癒し、心地よい夢の世界へ。 パステルシャインアートを世界へ向けて普及したい!! 現在、PSAのインストラクターは600人以上になっておりますが、日野原先生をはじめ沢山の著名な方々に推奨していただいたお陰で、お医者さん、看護士さん、福祉施設や介護施設の職員さん、学校の先生、セラピスト・・・など幅広い職種の方々に関心を持って頂けるようになりました。PSA体験者も20万人(推定)を越えたところです。 ’15年には「パステルシャインアート誕生20周年」を迎えるので、本格的な展開も企画準備中です。 ひとつは、JTBパブリッシング社から新刊本を’13年10月発行予定にしております。2つ目は、600名以上のインストラクターの方々と共に、PSAの普及の加速を図るために、新しい枠組みを作っていくことです。3つ目は、最近問合せが増えている海外への情報発信と普及です。海外にはカナダやポルトガル、アメリカのロスアンジェルス、ハワイ、中国、タイ・・・など、既にインストラクターがいます。日本発の新しいアートを世界に発信する仕組みも本格的に構築したい、と考えております。 昔も今もこれからも変わらずに、キャラクターデザインと共に私はこのPSAを通じて1人でも多くの方に喜びと輝きをご体感して頂くお手伝いをしたいと願っておりますので、応援よろしくお願いいたします。 ●江村信一、私の座右の銘 何があっても 『だからよかった』と言えること。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。 ▲
by emrcis
| 2013-08-12 12:14
| 江村信一について
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by emrcis
| 2010-12-18 10:41
| 江村信一について
![]() 『みんなで手に手をとってほっとする環境をめざしましょう』キャッチスローガン2010。 大阪から上京してから30年がたちました。1979年から開発したキャラクター集合。 1979年よりサンリオに在籍して1984年に六本木にてCISを設立。さまざまなヒットキャラクターに恵まれ2000種アイテム約1200万個のキャラクター商品を世に発信。一貫して『ほっとする環境づくり』を基本コンセプトとしてキャラクターにパステルシャインアートに思いを込めて制作、講座、イベント、講演など普及活動をしてまいります。本年も宜しくお願いします。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 キャラクターデザインという仕事に携わり現在までに35年。大阪から上京して サンリオに入社して30年。 そして、パステルシャインアートを開発して15年、 キャラクターデザインと『こころの学校』を作ろうと思い 六本木から恵比寿などに デザインオフィスを設立、運営してから25年。 キャラクターデザインはかわいい商品や広告などに展開して それを持つ事で見る事で心がほっとする癒される:受動療法。 そして、パステルシャインアートは、ほっとする絵を自分の手で 描いてもらうよろこんでもらう:能動療法。 という、35年間の活動している経緯をみると一貫してヒーリングセラピーアートを 手がけてきていることがわかる。 見る事から描く事に移行しながら両方のクリエイティブにムーブメントや 波紋ををひろげていくミッション(使命)をもちつつ、 これからも一人でも多くの人に この感動をあじわっていただけたらという思いです。 絵を描く楽しみを自分の中にだけ持つのではなく より多くの人にこの歓びを感じ取ってほしい『人はみな天才』 という思いから開発したパステルシャインアートメソッドを 日本から世界にひろがるように願っている。 江村信一 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 ▲
by emrcis
| 2010-01-02 08:39
| 江村信一について
大阪城にちかい天王寺区清掘町という
ところで生まれる。 谷町6、高津中学、明星学園、なども近い。 1950年12月11日。射手座。A型。 父は、絵を描く人で新聞記者としても共同通信にいて 小さい頃に絵を描く姿をみて育つが躾には厳しい父でした。 父の友人には神彰氏(世界的プロモーター、アートフレンド主宰、北の家族、初代社長)や山口淑子(李香蘭)など、クライアントにNHK、サクラクレパス、カルピスなど。 父が39才でなくなり 母、姉2人、妹1人、私の5人家族となる。私はたしか幼稚園の5才でした。 その後、母親によって育てられる、そして父の企画したものを生かして 母のちからで当時カルチャーセンター 『生活文化教室』を開校。約500名の生徒があつまる。 (ちなみに母は17才の頃、笹川良一、良平氏の会社の秘書を勤める。) 当時はカルチャーセンターがほかにはなかったこともあって 結構、人気があったようです。 茶道、華道、短歌、古美術研究会、書道、ダンス、日本舞踊、写真、などいろいろな 講座がありました。 家は、白い壁の赤い屋根のモダンな家で広いフローリングルームがあって、 カルチャーもそこで営まれました。松下電器から電化製品を寄贈いただいた こともあったようです。 また、母は福祉活動も活発に動いていて 関西テレビの放映や サンケイ新聞などもにおおきく掲載されたりもしていました。 江村信一ホームページのコンセプト&システムの中の ルーツにもあります。 江村信一の2才、3才、4才、5才、のころは 父が絵の仕事をしている影響もあって絵を描くことが好きだったようです。 そして小学校に入り絵と音楽、工作が得意でした。 ちかくの 和田アキ子の叔父さんにあたる方からおおきな紙をどっさりいただき それに絵をたくさん描いていました。そのころはかわいい絵と言うより 戦艦や戦闘機など男の子らしい絵が多かったようです。 ![]() 小学3年のときに担任の先生があの『よかいち』の榊莫山先生で いま思えばびっくりですが父がPTAの原稿も描いていたので よく莫山先生が家に原稿をとりにこられていたそうです。 その莫山先生に絵と書道と自由な発想の影響を無意識に受けました。 音楽では楽器のハーモニカが得意でよく代表で演奏していた記憶も あります。工作では木を拾ってきてはいろいろな物を作っていました。 ただ体育はにがてでしたが野球ではいつもピッチャーをやっていました。 中学に入って クラブ活動は美術系ではなくスポーツを選択して卓球部に所属しました。 運動神経はよくなかったようですが、そこそこいい線までいったようです。 1年のときに絵画で学校を代表して賞をいただき おおきな自信となりました。 高校に入って ますます卓球に情熱を燃やしその当時の根性や忍耐という言葉が 壁にはってあったように思えます。新人大会で大阪府のベスト16まで 勝ち進みました。小学、中学のころの運動音痴といわれていた コンプレックスがようやく自信というモードに 入っていくのがこのころからでした。 その後2002年にはあこがれの元、世界卓球チャンピオンの山中教子さんと共著で『ほわん』という卓球をテーマにした絵本を出版。 いま 思えば、このころに真剣にとりくんでいいた卓球のおかげで 心の持ち方、マインドの面での自己啓発における部分が培われた気がする。 そして 社会人となって絵を描くことを仕事にする という夢を描きながら、いろいろな仕事に就く。セールスをはじめとして 25までにさまざまな職を体験しました。特に、セールスでは 会社ではいつも成績がトップクラスで『普段はおとなしい江村がなんでや?』 と、会社がおどろいていたようです。 たしかに、そのころから『心の法則』を生かしていました。 18〜25才までは 絵の仕事につく夢をもちながらいろいろな仕事を体験して 20才の時に出会った、漫画家、中島たを先生の影響がおおきくこの世界に入るきっかけだったと思います。またグラフィックデザイナーの安井志摩子さん(もと早川良雄事務所)イラスト参考作品. 、プロデューサーでは堀内登久子さん(株)にほんれいあうと、社長(株)アクセプト 取締役他。
漫書家の黒田クロ、ほかたくさんの人の影響とバックアップを受けました。 18才に就職した大日本印刷系列大日本ポリマーでは プラスチック成形品の図面を描く仕事で一部デザインも手がけていました、 立体デザイン、インダストリアルデザインのようなことを少しやって2年半で 退社して漫画家の中島先生の扉をたたく。20才のころ。 当時、家が経営していた大阪守口市、喫茶店『ハウマッチ』では姉2人と母と妹がお店を営んでいました。次女、由紀姉の友人、伊藤銀次(音楽家として、わらっていいともなどのテーマソングでおなじみ)や友部正人らがよく遊びに来ていました。 絵やデザインの学校や美大などを通過せず 個人的にプロのデザイナーや漫画家に教わりながら仕事をとってきて覚えるという 実践的なやりかたでやってきました。 グラフィックデザイン、テキスタイルデザイン、 インダストリアルデザイン、なども仕事ですこしづつ通過して 26才で大阪心斎橋で、 いきなりキャラクターデザインオフィス『ディフォルム』を構える。 1976年ごろ。いま思えば、かなりおもいきった行動だったと思いますがこれが あったことで今につながっていると思います。 仕事は 営業経験があったので いろいろな会社からの依頼がたくさんありました。 当時、サンリオのキティが誕生しておおきくキャラクターの世界で飛躍していた ころでキャラクターに特化して仕事を拡げたことは正解でした。 仕事を覚えるために外部のアーティストにも絵を依頼して 自分の作品と外部の人の作品を同時に納品していた。結果的にそれが せまい範囲にとどまらずによかったことだと思います。 ![]() この上記のなかにある キャラクターライブラリーの左下2段、6キャラクターが当時の作品で 関西電力、コクヨ、ナカバヤシ、アサヒペンなど キャラクター商品も200アイテムは展開していた。 そして27才のころ サンリオにいきなり営業をする。社長室の横の受付ユニコーンの人形のモニターに こんにちは『大阪からきました。作品を見ていただけますか?』 社長にはお会いできなかったが企画制作課長とお会いでき、 弊社のキャラクターを使いませんか? というプレゼンテーションしたところ あいにく日本のアーティストは基本的にはライセンスしません。 という課長の意見でした。 でも もっていた作品を気に入っていただけ 『よかったらここへ机をおかないか?』という展開となりましたが こちらとしては大阪に弊社のオフィスがあるので、、、、 ということで大阪にもどって考える。そして、いろいろな人に相談する。 つづく ▲
by emrcis
| 2009-10-07 22:21
| 江村信一について
大阪にもどっていろいろな人に相談する
『せっかく自分でやってるのになんで今から会社に入るんや』 応援する人や反対する人。さまざまな意見をもらった。 当時、1978年ごろはサンリオのキャラクターブームが押し寄せ あちこちからキャラクター依頼が殺到する。 でも、このまま大阪でブームにのっかるのもいいが 我流でやっている自分に疑問をもちかけていた頃で 『今やったらゼロから学べるかもしれん』という思いがふとあった。 仕事はたしかに徹夜が多くキャラクターブームに拍車をかけていた。 企業にあまり勤めたことのない自分にとって うまくやっていけるかどうか?いろいろ考えた。 でも、あこがれのサンリオで仕事ができる。 よし、このチャンスに乗ろう。 と決めてサンリオに連絡した。 そしたら、サンリオもひきぬきというスタンスではなくて こちらから希望したという意志を会社に伝えるためか課題を提出ください。 ということだった。 そして、郵便で課題のお手紙がきた。 そこにはテーマとオリジナルキャラクタータッチ、アイテムはハンカチのデザイン。 約、一ヵ月かけて課題に取り組む。 仕事をこなしながらの事で時間をつくる努力をした。 新規キャラクターを提案してデザイン展開して提出。 そして、合格通知がきた。 ただしデザイナーからディレクターへという希望だった。 自分としては、キャラクターを描くことが希望だったが作品の巾の広さをみてか ディレクターへという意向だった。 でも、まず入ってから様子をみてという事で約1年かけて入社した。 大阪のクライアントにデザイナーを紹介して引き継ぎがうまくいくようにした。 オフィスにアーチスト3人をよんで机を置いてもらって 自分は休業すると宣言してサンリオに入社。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 1979年4月上京サンリオに入って 会社に朝、出社してというパターンが最初は慣れなくて ちょっときつかったがすこしづつ慣れてきて仕事も覚えてきた。 最初から、キャラクター開発室に入ってオリジナル制作に入るが イメージがつかめなくて3ヵ月がたちキティーの仕事(電話のデザインやいろいろなグッズデザイン)も一部参加した。アメリカのサンリオインクにいって動くキティーのグッズデザイン等もてがけた。 キティの電話デザインも手がける ![]() サンリオインク米国でデザインワーク1985年 ![]() 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 そうこうしているうちにサンリオのカラー、求めているものがつかめてきた。 入社8か月後に犬のキャラクタートッピー&クッピーが誕生した。 ![]() いちご新聞にもおおきく出て人気もでてきた。 このブログのカテゴリー『サンリオでのキャラクター』にいくつか出ています。 このキャラクターはライセンスキャラクターとして読売テレビや 10社ほどの契約が進み、特におもちゃのタカラがおおきく展開した。 ![]() そして、キャラクターのロビーラビット2を開発。これはよく売れた。 ![]() サンリオの中でもめずらしい配色で紺と白を基調にデザインしてサンリオショップでも 目立ったキャラクターのひとつであった。約80アイテムほど展開された、 タッチも筆で描くアート性のある表現でボーイズに向けたキャラクターのつもりが 中高生の女子にも支持された。このキャラクターもいちご新聞に 紹介された。このころは社員だったので集中してキャラクターを描けることができた。 ![]() ![]() ![]() ![]() 2009/10 *下記の文面は2012/9/29に執筆した。 *大阪で自営キャラクターデザインの仕事してから27才サンリオにキャラクターを 売り込みにきて結果、席をおいたことで学んだことは今も大きく生きています。 サンリオでの仕事情報ブログ 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 サンリオデザイナーとして勤務後 1984年六本木でキャラクターデザイン&ライセンスオフィスCISを設立した。 東京に来て5年、友人も知人も少なく独立してやっていけるだろうか? 不安はいっぱいあったがキャラクターのブームも手伝って 仕事は順調にきた。ヒットキャラクターに恵まれ ライセンスキャラクターも順調に広がり版権証紙を発行して ロイヤリティで事務所が回り出した。 スタッフも2名、3名、4名と増えて広い恵比寿のオフィスに移動した。 ![]() ![]() スタッフも8名となり、キャラクター道場も開講した。 いろいろなメーカーとのライセンス、パッケージやイベントのキャラクターなど 大手、三井石油、ライオン、学研、明治製菓、マルマン、サンスター文具、任天堂をはじめ直での契約が大きくキャラクターの確立ができた。広告代理店からの仕事ではヤクルト、味の素、ジャスコ、イトーヨーカドー、森永乳業、ほか約30社。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 1995年にパステルシャインアートメソッドを開発して キャラクターデザインと並行してPastel Shine Artの 講座を開き『ほっとする環境』をめざしてキャラクターを描く事から 『誰でも天才』をコンセプトにさまざまな会社や施設でこのワークショップを 開催した。想像以上に好評でおおきく波紋がひろがった。NHKなどに出演、紹介される。 PHP研究所から書籍も出版された。 2015年、PSAインストラクターは全国で900名を達成。 2012年現在、おおよそ推定で50万人の方に体感をいただいている。 (社)日本パステルシャインアート協会 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 日本から世界にほっとするキャラクター発信、Pastel Shine Artのメソッドを広げている 1975年からスタートしたアーティスト活動はここにきて原点を見直し 本来のミッションをより大きく実践していく。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 *出版の世界では 2001年に出版されたエッセー絵本『元気を出して』宇佐美百合子と共著。PHP研究所 この本は販売册数25万冊を記録した。コンビニ等での販売が拍車をかけた。 その本に登場したキャラクターぷよよんはシリーズ3冊となり計40万冊を達成。 スペイン、台湾、韓国などにも 翻訳されている。 また、『大切なこと』PHP、文:松下幸之助、絵:江村信一、15万冊達成。 ほか2012年現在拙著29冊の合計70万冊を達成する。 2012年2月に出版された『一瞬で絵心の扉を開くパステルシャインアート』 コスモトゥーワン、の書籍の帯に日野原先生の推薦をいただく。 2012/9/29 江村信一 。。。。。。。。。。。。。。。。。 1984から13年間の間にヒットキャラクターデザイナーを育成13名デビューさせた。 2015にキャラクター教室を再開してほしいという声が多く秋から開校することになりました。 http://emurin.exblog.jp/i97 2015/7/12 ▲
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| 2009-10-05 20:54
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| 2009-10-04 16:45
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| 2005-08-18 15:11
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| 2005-01-22 16:40
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